食べる、少年。

好きな物を「好きだ」というためのブログ

『Dr.STONE』が『進撃の巨人』を駆逐する

Dr.STONE 1 (ジャンプコミックス)

Dr.STONE 1 (ジャンプコミックス)

 

 

 2017年3月から週刊少年ジャンプで連載されている『Dr.STONE』(原作:稲垣理一郎、作画:Boichi )という作品は、近年の漫画・アニメを代表する一作だと思う。ストーリーが面白いというのは当然ながら、僕にはその計算去れ尽くした展開に深い共感を得ざるを得ないからだ。

 

 

高校生の大木大樹は、以前より想いを馳せていた小川杠に自分の気持ちを告白しようと学校のクスノキの木の前に呼び出して告白に臨む。

ところがその刹那、突如空が眩く発光し、地球上の全人類が一斉に石化するという怪現象に襲われてしまう。

五感を失い身動きが取れない大樹は、「杠への想い」だけを糧に長い年月を耐え続けた末に自由な身体を取り戻すが、目前には樹木が生い茂り、風化した景色が広がっていた。大樹は一足先に石化が解けて目覚めていた千空と再会を果たし、彼からこの世界が自分達の時代からおよそ3700年経過しているという現状、そして人類が消えて滅んだ世界で自力で文明を再建させるという決意を聞かされる。   Dr.STONE - Wikipedia

 

 『Dr.STONE』 は非常に男性的な作品だ。それはあまりにも物語が合理的に進んでいくからである。石化という謎の天変地異が起きる。目覚めると、コンクリートは風化し、地面からは無数の巨木が生え茂っていて、慣れ親しんだ街はジャングルへと変貌している。

 

 僕だったら、驚いて、寂しくなって、そして怖くなるだろう。

 

 ところが、主人公たちは目覚めて直ぐに、「科学で文明を取り戻そう」と奮起するのだ。「文明が進み安定すれば、多くの人を救えるから」だ。よくいる平凡なキャラクターだったら、家族や友人を探し回ったりするはずだ。だが、彼らはそんな非生産的なことはしない。彼らは非常に合理的なのである。

 

 理論的な文脈の作品を読むと、「男っぽいなぁ」と感じてしまうのは僕の偏見かもしれないが、往々にしてそんなに外れたものでもないと思う。特に漫画は、焦点を当てる部分を「ストーリー」にするのか「感情」にするのかで目指す方向がはっきりしてしまうと思う。生まれてこの方「男」にしかなったことのない自分には、『Dr.STONE』に出てくる論法はすっと頭に入ってくる。こういうのを感じると「やっぱり少年誌だな」と思った。

 

 ただ僕がこの作品に感じる「非凡さ」はその徹底ぶりにある。半年以上連載をしていて未だに物語の筋がつかめない。ずっと浅い水辺で遊んでいる感覚だ。拾った鉱石から水銀を採る話、砂鉄から鉄を作る話。科学の話だけあって物質の名称や数字が良く登場する。それ一つ一つを獲得することがエピソードになっているのだが、それ単品では一向に物語の根幹に迫れないのだ。いつかこれらが結びついてとてつもないようなことが起きそうだという期待感ばかりが募る。こういう作品を僕らはミステリーと呼ぶのではなかったか。

 

 最近、こんな感覚になる名作を読んだ。それは『進撃の巨人』だ。

 

 当初一巻を読んだ時は「よくある恐怖系か」とタカをくくっていたのだが、物語が進むごとに、その緻密さに舌を巻いた。マガジンが得意な「絶望の中で希望を」的な感情的なカタルシスではなく、当時は、本当にただただストーリーラインが面白い漫画というものに久しぶりに出会ったと感動したものだ。

 

 『進撃の巨人』と『Dr.STONE』はとても似ていると僕は思う。というか多分だけど、原作者の稲垣理一郎氏はそんなに甘い人じゃない、『進撃の巨人』を研究し尽くしてこの『Dr.STONE』を作ったのではないかと僕は勝手に思っている。

 

 だって、一番最初に出てきた「3700年後」という“謎”にすらまだ全く言及していないのだ。明らかに「この謎は物語の根幹なんだよ」と言われているようで、とてつもない強かさを僕は感じざるを得ないのだ。

 

 なにしろ「Dr.STONE」に「稲垣一郎」だ。どこまで理系的で男性的なロジックを魅せてくれるのか今後が楽しみでしかたない。